仮想 寺”くらう堂”の園庭
ここは、正しくなる場所ではありません。
ただ、戻ってくる場所です。
~仮想寺”くらう堂”とは何か~
くらう堂は、何かを教える場所ではありません。
何かを変える場所でも、
誰かを導く場所でもありません。
ただ、
揺れている心が、
少しだけ元の位置に戻ることを思い出すための場所です。
正しさや間違いは、ここでは扱いません。
今のまま、どうぞ。
~ここで起こること~
ここでは、特別なことは起こりません。
ただ、
・反応している自分に気づいたり
・力が入っていたことに気づいたり
・何も決めなくていいと、少し思えたりします
そのとき、
ほんの少しだけ、戻ります。
何かを得るわけではありません。
ただ、少し軽くなるだけです。
~本堂(教えに触れる)~
本堂では、
お釈迦様の教えを辿ることができます。
ただし、それは
「正しく理解するためのもの」ではありません。
自分の見え方を、少し広げるためのものです。
ここにある内容は、
ひとつの見え方としてまとめられたものです。
教えはひとつに定まるものではなく、
見る人や時代によって、いくつもの捉え方があります。
そのため、
現代の考え方や日常の感覚とも重ねながら、
静かにほどいています
分かっても、分からなくても大丈夫です。
~三重塔(自分の位置を見る)~
三重塔は、
自分の状態に気づくための目印です。
上に行く場所ではありません。
今どこにいるかを、静かに見るための場所です。
教えに触れていると、
かえって迷いのようなものが生まれることもあります。
実践の中で、
揺れや違和感と向き合うこともあります。
それも、自然なことです。
そのままの状態で、
ここに戻ってきても大丈夫です。
立て直す必要も、
変わる必要もありません。
ただ、今の位置を、
変えようとせず、そのまま見てください。
一階(意見の間)
思っていることを、
そのまま出してもいい場所です。
正しくなくても、まとまっていなくても構いません。
中階(呟きの間)
言葉になる前の揺れを、
そのまま置いていく場所です。
天階 ”観る(Miru)"
自分の心の動きを、
少し距離を取って見るための場所です。
何かを変えるためではなく、
ただ、観るためにあります。
~裏殿~
裏殿では
教えの外側にあるものに触れることができます。
お釈迦様の人物像や、
経典の話、神秘的な逸話など。
理解を深めるというより、
視野を広げるための場所です。
~梵鐘 “観の音(かんのね)”~
くらう堂の梵鐘は、
誰かに鳴らされるものではありません。
気づいて、少し力が抜けたとき、
とても静かに鳴ります。
また、
ふとしたときに、
そっと触れることもできます。
音は小さく、
何かを変えるものではありません。
ただ、そこにあるだけです。
~していいこと/しなくていいこと~
《していいこと》
・何も決めずに読む
・途中でやめる
・分からないままにしておく
《しなくていいこと》
・理解しようとすること
・正しくあろうとすること
・変わろうとすること
~持ち帰るもの~
ここで、何かを持ち帰る必要はありません。
ただ、
少し軽くなっていれば、それで十分です。
~ポリシー(くらう堂版)~
ここは、特定の宗教への勧誘を目的とした場所ではありません。
また、何かを信じることや、
特定の考え方を受け入れることを求めるものでもありません。
ただ、ひとつの見え方として、
静かに置かれています。